ショウモナイ日記

日々思ったことを書き綴る。田舎者の日記。

田舎のあいさつ

 

 

私はとある山奥の田舎に住んでいる。

田舎で生まれて田舎で育ったJKである。(響きがイマイチだなぁ)

 

東京という都会にも何回か行ったことがあるし、テレビもWiFiも一応ある。今の言葉でいえば意識高い系の田舎者である。

 

そんな意識高い系の田舎者の私も、田舎の誰も定義したことがないがいつの間にか存在するルールをきちんと守っている。

 

そのルールは定義されていないわけだから、破る破らないの問題にはならないし、守らなかったところで誰も攻めはしない。けど、もしかすると、おすそ分けが減るかもしれない。挨拶が2日に一回になるかもしれない、そんな程度の物だ。

 

 

よく、最近田舎でゆっくり住みたいと、都会に疲れた人は言う。そういう人は一体どんな田舎を想像しているのだろう。きっと、日本昔話に出てくるような、田んぼを耕し、汗を流して、野菜を作り自給自足、まわりには人があまりいなくてのんびりと時間だけが過ぎていく。そういう理想的な田舎はおそらく存在しない。田舎暮らしに慣れればそう感じるかもしれないが、都会で住んでいた人たちにとっては中々そういう環境にはならないだろう。それなら都会の便利な社会の中で公園でボーッとしたりハンモックで寝たりする方がその理想にはおそらく近い。

 

 

本当の田舎は甘くないのだ。

 

 

話が逸れたが、元に戻そう。

田舎のルールである。これは都会人には到底理解できないものがたくさんある。

そのうちの1つ、田舎のあいさつ。

 

 

まず、田舎ではとりあえず全員知り合いだから出会ったら頭をさげる。朝のおはようの挨拶はマスト。運の悪いオバちゃんに出会えば1時間立ち話はよくあること。これは子供でも年老いたおじいちゃんでも田舎はみんな友達。みんな家族。

 

 

都会でこんなことしていたらおそらく変な人に思われるだろう。しかし田舎では挨拶をしない人の方がこの人はちょっと…と思われるのだ。小さい頃、挨拶をどうしてもしたくない時があった。その時、とてつもないほど両親に叱られた。挨拶できないやつは友達できないと言われた。まさにその通りだと思った。

この癖がついていると、車の助手席に乗っていても道を譲っていただくと、自然と頭を下げてしまう。きっと相手は助手席の人何か下にゴミ落ちてたのかな?と思われてるかもしれないがそんなの気にしない。

 

 

そのおかげで老若男女みんな優しく接してくださるし、困った時はいつも助けてくれる。まず、田舎で一人でのんびりと暮らそうと思っている都会人、その時点で無理なのだ。諦めろ。一人で生きたいのなら都会で生きろ。

 

 

 

電話での挨拶もある。

田舎のおじいちゃんおばあちゃんで電子機器を操れる人は少ないので、基本連絡は電話。

 

 

プルルルプルルルーーー

 

はい、もしもし〇〇です。こんにちは。はい、はい、

 

 

これが一般的な電話の対応だろう。

田舎の電話の挨拶は違う。

 

 

 

 

はい、もしもし〇〇です。こんにちは、あー、まいどありがと〜なぁ〜、うん、

 

 

 

このようにこんにちはに加えてとりあえず感謝を示す。

 

私は小学生の頃、家族がありがとうと言っているのに気がついた。

私は疑問に思った。商売をやっているわけでもないのに、なぜ電話で最初にまいどおおきに〜から始まるのだ!?

誰にでもまいどおおきに〜から始まる…

 

気になってお父さんに聞いたことがある。

なぜうちは商売もしてないのにありがとうと、電話で言うの?

お父さんは、分からない。それが田舎なんや。言ってしまうんや。

 

意味がわからない。確かに、毎日色々おすそ分けくれたり、話をしたりしているし感謝の気持ちはいつもあるが実際に会って最初にまいどおおきには言わないのに、電話では言うのだ。何故だ。でもそれが田舎なんやの一言で片付いてしまう気がする。そこに理屈を求めてしまったら、あなたは田舎暮らしがとてもしんどいものとなるだろう。

 

それが田舎なんや。は田舎においては、それわかるぅ〜並に便利なことだろう。とりあえず田舎なんやと言っておけば何も言われまい。そんな便利な言葉のおかげで今日も田舎のルールでは守られている気がする。

 

 

やっぱり、田舎は意味がわからないって??

 

 

それが田舎なんや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記

私は都会を否定しているわけではない。

都会には憧れを抱いている。ただ田舎も良いところだっていうのはわかってほしい。この両方がうまく噛み合っている日本が好きだ。方言が出てるところがあると思うがそこは大目に見てほしい。